2022-01-01から1年間の記事一覧

読みの力を育てる用語  (白石範孝編 2009 東洋館出版)

目次 第一章 読解力の基盤となる活用力を支えるための用語 第二章 活用のための学習用語 第三章 学習用語が生きる実践 概要 国語科の授業においても、授業の最後には振り返りを書かせることが一般化している。学習者自身が学習を振り返ることは、学習したこ…

豊かな言語活動で確かな国語力を! (横浜市小学校国語教育研究会 2006 明治図書)                          

目次 はじめに 実践例 <話すこと・聞くこと> 1年 わたしはだあれ 4年 伝え合おう、わたしたちの心 4年 4年○組 体験学習ミーティングをしよう 5年 話し合おう~このままでいいの?使い捨ての多い現代社会 <書くこと> 3年 分かりやすく書いて説明し…

自己調整学習の実践  (シャンク&ジマーマン 北大路書房 2007)

目次 第一章 学習調整の自己サイクルを形成すること 第二章 書き行動と自己調整 第三章 小学校段階での理解方略の相互交流による教授 第四章 大学生が自己調整f学習者になるための教授 第五章 統計学における自己モニタリング・スキルの指導 第六章 コンピュ…

学習の輪 アメリカの協同学習入門  (ジョンソン&ジョンソン&ホルベック 二瓶社 1998)

目次 第一章 協同学習とは何か 第二章 協同学習に関する研究 第三章 協同学習における教師の役割 第四章 相互協力関係を作る 第五章 生徒に協働の技能を教える 第六章 教師の協同 第七章 教師のさらなる進む道 概要 コミュニケーション能力を育成すること重…

新しい学習心理学 その臨床的適用  (G.シュタイナー 塚野州一他訳 2005)

目次 第一章 白衣に対する恐怖-古典的条件づけ 第二章 学習された心臓発作とは-消去の問題 第三章 だらしない子の変身-新しい習慣へのシグナル 第四章 トラブルメーカー・マイケル-オペラント条件づけと社会認知的学習 第五章 「待つこと」と「なしです…

「きめ方」の論理 社会的決定理論への招待  (佐伯胖著 東大出版会 1980)

目次 序 章 「どうしたらいいと思う?」 第一章 投票による決定 第二章 民主的決定方式は存在するか 第三章 個人選好に対する社会的規制 第四章 個人の自由と社会の決定 第五章 ゲーム理論と社会道徳 第六章 「公式な立場」からみた社会的決定の論理 第七章 …

協同の知を探る  (植田一博・岡田猛 編著 共立出版 2000)

目次 第一部 認知科学の問題としての協同 第二部 研究事例 第一章 協同行為と相互作用 第二章 共有される認知空間と相互作用による創発の出現可能性 第三章 協同による科学学習における問題を中心に据えた探索 第四章 親子の協同による科学学習の実際とその…

メタ認知的アプローチによる学ぶ技術  (A・オリヴェリオ 川本英明訳 2005)

目次 第一章 経験のもつさまざまな側面第二章 学ぶことの喜びと利点第三章 学習の方法第四章 最初の発見から学習法を学ぶまで第五章 認識のワナからその管理統制まで第六章 知能の働き第七章 思考スタイル第八章 思考スタイルを考慮に入れる第九章 より上手…

国語教育と児童文学とのあいだ (宮川健郎  1993)

序章 文学作品の教材化とは何か 第一章 「児童文学教材」と「現代児童文学」のあいだ 第二章 教科書の中の児童文学 第三章 賢治童話と読者 宮川先生とは教科書編集でご一緒させていただいた時期がある。いつも非常に役立つ絵本や児童文学のお話を伺えた。あ…

『教師のための読者反応理論入門』(R・ビーチ 1998)  

第一章 序論 第二章 テクスト志向の反応理論 第三章 経験志向の反応理論 第四章 心理学的反応理論 第五章 社会的反応理論 第六章 文化研究的反応理論 第七章 実践に対する理論の適応 ビーチ氏の研究の成果が、日本に取り入れられたのは、山元隆春氏の功績で…

脳はこうして学ぶ

学習とは何か。できなかったものができるようになるとか、しらなかったことを知ったとか、わからなかったことが分かった時に学習が成立すると考えられやすい。小さな子供が新しい世界を開くようなこれらの瞬間が学習だとするならば、私たちはずいぶん小さい…

学習に何が最も効果的か

授業における学習活動をどのようにとらええるかということは目的に応じて違ってくるのであるが、いずれにしてもとても複雑で難しい。それゆえに学者、教師もどこかに焦点を当てて断片的に理解するしかない。 授業の質や良し悪しといった点にまで理解を及ぼそ…

思考する教室を作る概念型カリキュラムの理論と実践

論理的思考力の育成が中学校から高校ひいては大学にかけて必要とされてきた。これはいつからということもなく、ずっと昔からそうであった。文科省などの教育行政的には、呼び方も変化してきたし、焦点化されるポイントも変わってきてはいるが、結局論理的に…